庭鳥の肖像
鶲花春風

認知症予防に良いだろうと始めたHPではあるが、基本が何も判っていない私にはかなり厄介な作業である。
ほんの些細な事が判らなくて半日を棒に振る事も度々あった。
面倒だから止めようと思った事も二度三度ではないが、それでは始めた意味が無いのでもう少し頑張る積もりでいる。
ところで色々なタイトル等仲々良いのが思い浮かばない上に、そもそも適当なのが無い場合もある。
さて、どうしたものかと思案したが、無ければ作れば良いだろうと適当に作ってみた。
鶲花春風(おうかしゅんぷう)なんて言葉は無いが、無いから作った迄の事。
薫風も良いかと思ったが、薫風は一般的には5月の季語なので4月の初め頃迄しか居ない瑠璃鶲には今ひとつシックリこないかなと思われた。

鉢植えの花海棠を買って来て庭に置いたら、早速瑠璃鶲が偵察に来た。
何の偵察って、勿論餌になる虫が居るかどうかだろう。兎に角瑠璃鶲も尉鶲も鶯も思いの外好奇心が強くて、目新しい物を見れば直ぐに寄って来る。
餌が居無さそうならそれっ切り来る事はないが、居そうなら次回からは徘徊ルートに組み入れられている。








どんな鳥でもそうだが、餌を獲りながらでも常に上空を警戒している。
多分、鷂の襲来を恐れての事だろう以外には考えられない。ノンビリ餌を食べていたら自らが天敵の餌になってしまうのが野生の怖さである。
悲しい事に彼等の殆どにはノンビリ、ユックリ何かを愉しむなんて事は多分有り得ないであろう。
食べる事以外にどんな愉しみがあるのだろうかと思わずにはいられないが、山雀他一部の野鳥を観ていると何やら愉しんでいる風に見える時が度々ある。
果たして愉しんでいるのか、或いは単に本能に従っての行動なのかは知る由も無いが、翻って我々人間はどうだろう。
殆どの人が色々な事を愉しんでいるだろうとは思うが、本当に心底愉しめているのだろうか?
今の時代、矢鱈過剰な情報に振り回されてアレもしなければ、コレもしなければ世間から取り遺されるかも知れないという逼迫感や切迫感に苛まれて、必要も無いのに無理に何かをさせられている人も多いのではなかろうかと危惧している。
それは他人事では無く、我が身を振り返っての事でもあるが。






写す事に関しては兎も角、ディジタル関連のスキルは全く何も無くてPhoto Shopも我流で弄っている始末なので、もしかしたらとんでもない間違いを冒している可能性は否定出来ない。
それでも我が家のプリンターでA4にプリントしてみて、富士カラーのラボで全紙にプリントして貰ったのと然程違和感が無いので、これで良かろうとそれ以上進歩する気配は無い。
そんな事より好きな野鳥を写して楽しめればそれで充分なので、兎に角楽しむ事優先である。
遺された時間を考えれば、今更七面倒臭いディジタル技術云々より目先の愉しみをこそ優先しなければと思っている。