庭鳥の肖像
幸せの青い鳥
幸せの青い鳥と言えば、私はモーリス・メーテルリンクの「青い鳥」を憶い出すが、日本では瑠璃鶲を憶い出す人が多い事だろう。
日本で見られる青い鳥と呼べるのは大瑠璃、小瑠璃、瑠璃鶲で、磯鵯も似た様な色だが腹から下が強烈な赤橙色で違和感がある。
とは言え、大瑠璃も小瑠璃も気安く見られる訳では無い。
その点、瑠璃鶲は冬になれば都市公園や民家の庭でも割と普通に見られる。
そういう意味で幸せの青い鳥=瑠璃鶲となったのかなと思っている。
それは兎も角、日本で普通に見られる時期は繁殖期では無いので雄も雌も常に単独行動であり、何となく寂しそうではあるな。

かなり多くの和鳥(日本に居る野鳥)を飼育したが、何故か瑠璃鶲は飼った事が無い。
最初に見たのは京都の深泥池の縁の山林だった。
美しい鳥が此方を見ていたので、近寄ってみたら瑠璃鶲だった。
5m位なら逃げもせず更に近寄れるが、かと言って3mは無理だった。
で、近寄ると少し飛んで逃げるが決して遠くへは逃げないで、又尾羽を振りながら此方を見ている。
それの繰り返しで、結局低い山の尾根迄追い掛ける羽目になった。
其処で雉が飛び立ち、瑠璃鶲も何処かへ飛び去った。

瑠璃鶲と尉鶲は止まっている時によく尾羽を振っている。
しかし、良く観察すると瑠璃鶲は尾羽を下に振っていて、尉鶲は頭を下げて尾羽は上下に振っている。





雨の日も餌獲りを休む訳にはゆかない。

花を眺めている様に見えるが、花に集まる虫を狙っている。

この距離(略最短撮影距離:1,3〜1,4m以内)になると兎に角被写界深度が浅くて、この画の様に瞳に合焦させると前の眼瞼輪は既に深度外となり・・・

此方の様に前の眼瞼輪に合焦させると肝腎の瞳が深度外となるが、或る意味この方が見易くはあるかも知れないと思っている。
しかし、言う迄もなく瞳に合焦させるのが基本である事に変わりはない。




瑠璃鶲は尉鶲の様に明るい処を好まないので、確り絞って撮れる事が少ない。
その点に関しては尉鶲の方が幾分楽ではあるが、何にしても仲々思い通りに絞って撮れる機会はそうそう無いものだ。




初めの頃はブラインド内から写していたが、馴れてきたらブラインドは不要になったのでカメラも撮影者も剥き出しの侭で写している。
直ぐ目の前に居る私を、彼は何と思っているのだろうか?
彼の瞳孔を見る限り、然程警戒している様子は無いものと思われる。
彼が私を警戒しているのなら、彼の動向はもっと小さくなっている筈であろう。
だからと言って信頼されている筈もなかろうが?



極一部の例外を除けば野鳥が写されながらリラックスしているなんて有り得ない話だ。
大抵は取込み中に邪魔しているのだから、迷惑がられて当然の事。
それでもこの個体に関しては、花鶏や真鶸や河原鶸みたいに矢鱈神経質で逃げ腰で餌を摂るという事も無く、比較的穏やかに写させて呉れた。
是等の写真は全て3歳半以上の、バフ色の消えた美しい個体である。
果たして今後又、こういう個体を写せる機会があるのやらと思うと少し切なくはある。
それでも体力と病状が少しでも回復しさえすれば、又出掛ける気満々でいる。